「海を超えてきた青」瑠璃色の秘密

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金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)瑪瑙(めのう)。これらは「無量寿経」という仏典に示された、7種類の宝です。(法華経では金、銀、瑠璃、瑪瑙、硨磲、真珠、玫瑰(まいかい)となります。)

この中に含まれる「瑠璃」とは、別名「青金石(せいきんせき)」、またラピス・ラズリと呼ばれる宝石のこと。はっとするような深い青に金色の粒が散りばめられた、まるで星空のような美しい宝石で、また仏教において仏の髪の色は、このような青い「瑠璃色」であるといわれています。

西洋では、贅沢にも砕いて粉にし、絵の具として使われることも。フェルメールの絵画『真珠の首飾りの少女』にラピスラズリから作られた「ウルトラマリン」という青い色が使われているのは有名な話ですね。

この「ウルトラマリン」という名前は、「海の彼方」という意味の語でもあります。時には金よりも高価であったこの色は、日本にとってもまた貴重な色です。

今回は、この「瑠璃」という色について、詳しくみていきましょう。

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海の彼方には何がある?島国日本の異国への憧れ

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昔々、まだ飛行機もなく、船旅も自由にできない頃。まだ外国といえば朝鮮半島や中国(唐)であり、太平洋側の海は果てしない、限りのない未知の世界だった頃のこと。日本列島に生まれた人にとって、海の向こうとはすなわち「世界の外側」だったようです。

その古(いにしえ)の頃の日本の文化には、海の向こう=朝鮮や中国から伝わったものが多く、「最先端のもの」は海外からやってくるという認識がありました。「唐物(からもの)」と呼ばれた大陸文化の品物は、貴重品として尊ばれたものです。

そして仏教が伝来したとされる飛鳥時代より、「須弥山(しゅみせん)思想」という宇宙の構造に関する考え方も、日本人の思想に影響をもたらします。

「須弥山」とはサンスクリット語で「スメール」といい、また「妙高山」とも訳される、古代インド仏教においてで宇宙を表す図形のようなもの。ざっくりいえば、世界は地球のような球体ではなく平らな円盤であり、その世界の中心には仏が座す須弥山という山があり、それを円形に取り巻く九つの山脈と八つの海(九山八海)、そしてそれらの外側に、私たちが住む人間の世界の置かれた島があるという構造です。

寺院や仏像を安置する伽藍堂も、この須弥山構造に習って配置されることがよくあります。須弥山思想は日本の仏教建築や仏教美術に多大なる影響を与えました。

須弥山思想は日本庭園にも表現のヒントを与えています。ときに、日本庭園は仏教思想にならった宇宙を表しているといわれることがありますが、須弥山岩組はその表現の代表的なもの。たとえば、島根県にある万福寺庭園には、まさしく須弥山構造を表した岩組があります。

また、近い思想で古代中国の神話に基づく「神仙思想」というものも、日本庭園の池泉作りを中心に大きな影響をもたらしました。海の向こうには仙人や神人という人智を超えた存在が住む「蓬莱山」という世界があり、また不老不死の妙薬があるという伝説です。

須弥山思想も、神仙思想も、どちらも「海の彼方により良い世界がある」という考えが共通しています。中国や朝鮮からしてみると、海を渡った先の島国である日本がそのような神仏のいる世界なのではないかと期待された時代もあったようですが、日本にとっては広い海の彼方とは「世界の外側」であり、その向こうに苦しみも悲しみもない楽園があるのではないかと期待されました。

そして奈良時代、中東地域からシルクロードを経て日本へと渡来した数々の宝物のうち、聖武天皇が所持した遺品が正倉院正倉に納められました。聖武天皇の崩御を悼み、光明皇后が東大寺の本尊である盧舎那仏に奉納した品が、正倉院の宝物の起源です。

正倉院の宝物の中には、ササン朝ペルシャから伝わった「瑠璃杯(るりのつき)」と呼ばれるガラスの杯が5点あります。その中の「紺瑠璃杯」は、今ではコバルトガラスと呼ばれる大変鮮やかな青いガラスの杯であり、古の当時はガラス製品を「瑠璃」と総称しました。海を渡ってやってきたペルシャガラスの美しさを、瑠璃という尊い宝石に例えたのです。

日本でいう「瑠璃」という宝石、またガラスの宝物も、海を超えてきた特別な青。海の彼方を思わせる瑠璃色の青は、このように仏教の思想を中心とした、祈りにも似た感情をもたらすのかもしれません。

群青と瑠璃の違い

日本における貴重な青色といえば、瑠璃色のほかにも「群青」というものがあります。瑠璃、つまりラピスラズリは「宝玉」として扱われたもので、また尊い青色を示す概念的なものであるのに対し、群青色は主に日本画の岩絵具として使われた顔料の色を示します。

初めにお話ししたように、西洋の「ウルトラマリン」のように、日本でも古来は瑠璃を群青色の元にしたようですが、瑠璃は宝石として扱われているのもあり、砕いて使うには高価すぎるため、次第に日本では「藍銅鉱(アズライト/Azurite)」という鉱石を群青色に使用するようになったといいます。

ただ、ラピスラズリの青色の主成分は「ラズライト(Lazurite)」といい、群青の素となる「アズライト」とは似て非なるものだそう。そのため、厳密には瑠璃色と群青色は別物ということです。(さらに「紺青」という色を作る(天藍石/LazuLite)という鉱石もあり、少しややこしいですね。)

とはいえ、群青も絵の具として大変高価なものでした。それゆえ、扱うことのできる絵師は限られており、また群青を使うことができる機会も、釈尊や菩薩像の頭髪など、一部の仏画に限られたこともありました。

群青の青は瑠璃色よりも鮮やかで深く、最も古い絵画では高松塚古墳の壁画に同じ青が見られます。昔は指先ほどの量で米一俵と同じ価値であるとされており、現代でも天然の群青の岩絵具は合成の群青の5、6倍近くの値段がつけられます。

昔も今も、日本画家にとって群青色は憧れの青なのです。

「瑠璃紺」のいま

青色の中でも瑠璃色とは、仏教に由来する尊い色のことですが、時を経て江戸時代になると、着物の流行色として一般の人々にも愛されるようになります。江戸前期の1680年ごろ、「瑠璃紺(紺瑠璃とも)」と呼ばれる深い紫がかった派手な青色が、小袖(普段着、洒落着の着物)の色として大流行したのです。

瑠璃紺の色は、藍染で深い青に染めてから、蒸気で蒸すことで明るい色に仕立てたもの。瑠璃紺の鮮やかな青色は、活気のある江戸時代の街にふさわしい伝統色といえるでしょう。

現代では日本も西洋化が進み、日本の伝統的な呼称で色を呼ぶことは非常に少なくなりました。しかし、その色の名前や由来を知れば、一つひとつが改めて楽しめる色だと感じてきませんか。

もし「好きな色は何?」と聞かれたときに、たとえば青一色にしても、色々な種類の青があります。群青色のような冴えた青、瑠璃色のような深みのある青、どんな青色が自分の好みなのか知ることで、今自分が見ている普段の世界の色も、今までと違って見えるかもしれません。

<参考文献>

https://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/63/05_treasure/index.htm

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