日本の木工芸の歴史を語るうえで、「木地師(きじし)」や「轆轤師(ひきものし)」と呼ばれる職人たちの存在を欠かすことはできません。彼らは、優れた材木を求めて全国を巡り、樹木を加工して暮らす“ノマド”の職人集団でした。
木地師の歴史は、文徳天皇の第一皇子・椎嵩親王(しいたけしんのう、844年〜897年)の家臣である小椋大臣実秀(おぐらおとどさねひで)と大蔵大臣惟仲(おおくらおとどこれなか)が、木地挽きの技術を習得するよう命じられたことに始まります。当時、木地制作の技術は宮廷の特権でしたが、時代とともに地方豪族や庶民にも広がり、17世紀には全国へと普及しました。1
その後、小椋氏と大蔵氏の子孫たちは、長野県南木曽町漆畑に集落を形成。この地では、現在も伝統的工芸品である「南木曽(なぎそ)ろくろ細工」が、熟練の職人たちによって受け継がれています。
今回は、そんな「南木曽ろくろ細工」の成り立ちや魅力を、木地師の歴史を紐解きながらご紹介します。